私は、その昔、スノーボードに夢中だった。
(今は、ちょっと休止中。)
はじめたのが、17年くらい前で、まだ
「スノーボード」
なんて名称は浸透せず、
「スノーサーフィン」
などと言われていた時期だ。
大手ショップなどでは扱って無いし、情報もまともに入ってこないし、道具も満足に入手出来ずに苦労した。
何しろ、まだ、スノーボード雑誌で有名な、”スノースタイル”が創刊する前の話だから。
(ちなみに、0号をまだ持ってます。)
そんな時に、プロショップを見つけ、何とかそこから、道具や情報を仕入れることが出来た。
何とかして、ゲレンデに行っても、多くの難関が・・・。
1)出入り禁止。
「そんなもの見た事無いよ。ダメ!」
って言われて、門前払い。もう交渉の余地無し。
2)リフトに乗れない。
「滑っても良いけど、リフトは乗らないでね。」って。 あ゛ぁ~あ。仕方が無いので、ゲレンデの隅を、板を担いでエッチラオッチラと登る、登る、ひたすら登る。
30分かけて登って、3分程度で滑り降りる。
がんばっても、1日5回が限度。
3)ライセンスが必用。
それでも、中にはスノーボードを迎えてくれたゲレンデもあった。でも、試験をして合格しないと滑走できなかった。まあ、基本的なマナーと、リフトの乗降りくらい出来ればOKだったけど。
そんな訳で、迫害を受けながらも、スノーボードに夢中だった。いや、迫害を受けたからこそ夢中になれたのかもしれない。私はアウトサイダーだから・・・。
当時の道具は、今みたいに安くは無かったので、コフラックの登山スキー靴を流用してみたり、普通のスキー靴を改造したり・・・。
もちろん専用品はあったけど、高くて、なかなか手が出せない。アルペンも、ソフトも、靴、板、金具ってフルセットで10~15万円くらいが相場だった。
って、トリノ五輪と関係の無い、昔話になってしまった。
また、この続きは別の機会に書きます。
それにしても、里谷のフロントフリップ!!
きれいだったけど、点数低かった(怒)。
着地さえもう少し何とかできればもっと上位だったのかな?
上村も、あと少しだった。
3Dワザも、うまく決まったのに、残念(涙)。
モーグルの採点基準がよぉ~わからん。