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2007年12月30日 (日)

イカ天 ぁあ懐かしい 3

あっと言う間に終わってしまった。

なぜか、ジッタリンジンが出てこなかった。
かなり、イカ天出身では有名なバンドだったのだけど。
メジャーデビューして、版権などの関係かな?

あと、名前は、忘れたけど、女の子バンドで、色物のバンドも出てこなかった。
「ちかんにあいたい」っていう曲を歌っていたはず。
思いっきり、ラフィンノーズの「ゲットザグローリー」をパクった曲。
まあ、色物なので、外したのかも。

いま、思い出すと、楽しかった時代。
とある、特定の人物が、プロデュースした曲ばかりはやる事も無かったし、いろんな意味で、好き勝手なバンドがたくさんあった。

純粋に音楽として聞けるバンド。
単なる息抜きのバンド。
意味を考えさせるバンド。

この番組に出演していない、インディーズバンドもたくさんあった。
有名な「なごむレーベル」で歌っていたバンドなど。
あと、レピッッシュもこの時代は、まだインディーズだったかな?

余談だが、レピッシュも筋肉少女帯も、有頂天も爆風スランプも、みんなインディーズ時代の方が、面白い良い曲を出していると思う。
メジャーになると、色々と制約が出てしまうのだろう。
それゆえ、インディーズ全盛の、あの頃が、面白かった。
特に、サブカル大好きの私にとっては。

いや、懐かしく、色々と思い出してみました。

イカ天 ぁあ懐かしい 2

さっきの続き。TVを見ながら書いている。

BEGIN。
やっぱり、出て来た瞬間から、違う。
当時も、うまいと思ったのを覚えている。
ただ、それまでのKINGだった、ノーマジーンも好きだったので複雑だった。

たま。
これも、出て来た瞬間から、独特のオーラを放っていた。
色物全盛の中でも、単なる色物ではなく、”聞けた”。

個人的には、色物バンドは嫌いではなかった。
というか、オリジナリティがあれば、好きだった。
でも、明らかに計算で、色物を狙ったバンドはダメ。
あと、ビジュアル系も、ダメだった。
それゆえ、うまくても、”Remoto”などは、どうしても好きになれなかった。
(いまも、ビジュアル系はダメ。今はビジュアル系なんて言わないか?)

多分、この後も出てこないと思うが、
”COW パンクス” 「ビリー ザ キャップス」が好きだった。
インディーズのCDをいまだに聞いている。

さて、また、続きを見よう。

イカ天 ぁあ懐かしい

いま、TVで「イカ天2007復活祭」をみている。

ぁあ懐かしい。
私も、初回から、ほぼ毎回見ていた。
色々な毛色のバンドが出て来たので、好き嫌いは別にして、面白かった。
それに、イカ天出演者の、インディーズCDなども購入して聞いていた。

今出ている、FLYING KIDSも結構好きだったが、もっと好きだったバンドがあった。
名前が思い出せない。
私も、歳をとったものだ。
まだ、VTRで登場はしていないが、そのうち出てくるかもしれない。

ゆっくりと、20年前に戻って見てみよう。

2006年5月 7日 (日)

懐かしや ’80s その6

’80年代といえば、やっぱり、”バブル”の一言で尽きる。

とにかく、日本中が、景気良く、右肩上がりで、何でも成長すると信じていた、あの夢のような時期。
極端な事を言えば、自己満足の無限ループに陥ったかのごとく・・・。

経済の評論家でも、政治家でもないので、専門的な事がはわからない。
でも、私にも、ひとつだけ、わかる事がある。
「その物が持つ真価以上に、価値を付けるとろくな事がない。」

まさに、バブル期はこの状態。
猫の額のような狭い土地を担保にして、運転資金にして、次の土地を購入。そしてまた次へと地上げする。所詮、その土地はその土地なりの価値しかないのに、その数倍の担保を設定して・・・。
いつかは、破綻するわな。

つい最近、似たような事件があった。
そう、ライブドアの株の一件だ。
ライブドアなんて(失礼)元々、Linuxとか、わずかなソフト販売を手がけていた会社が、ちょっとした波に乗り、実際の価値以上の企業に、”周りが仕立ててしまった”のだと思う。
周囲の人が、冷静に、その企業の真価を見極めれば、こんな事にはならなかったはず。

バブル期には、似たような企業がたくさんあった。
・レイトンハウス
・フットワークインターナショナル

また、ちょっと前には、ITバブルなんてのもあったな。
”IT”って付けば、”何でも伸びる”みたいな感じで・・・。
結局、企業や、本人では無く、周囲が冷静さを失ってそうなるのよね。

今、心配なのは”中国”バブルかな?
各企業とも、こぞって中国へ進出するが、低賃金がそれを支えているのは周知の事実。
中国政府が、それなりの”最低賃金”を義務化したら、一気にそれが崩壊するのでは・・・。

まあ、上記のいずれにもタッチしていない、と言うか、タッチできるほど金が無い。
私には心配ない、心配しても手の届かない話か・・・。

2006年5月 6日 (土)

懐かしや ’80s その5

昨日に続き、今日も’80の話。
昨日は、WRCだったが、今日は、バイクのロードレース。

80年代は、これまた白熱の年代だったと思う。
まだ、MotoGPとは言わず、GP500と言い、2stの500ccマシンだった。

”キングケニー”(ケニーロバーツ・シニア)とヤマハの黄金時代に、スズキが、割って入ったかと思ったら、”ファーストフレディ”(フレディ・スペンサー)がいきなり台頭し、キングと物凄い争いを!!
ところが、フレディの時代は短く、すぐに”ステディエディ”(エディー・ローソン)がタイトルを奪取。

各メーカも、威信をかけて、シーズン途中で、フルモデルチェンジ並みのマシン変更したり。
”フレディスペシャル”なんてのをホンダは開発して、フレディだけにしか供給しなかったり。

あ~懐かしい・・・。

あの頃は、日本の若者も、みんなレーサーレプリカに乗っていた。
NSR、TZR、RGγ、CBR、FZR、GSXR などなど・・・。
で、みんな峠をひざ擦って走ってたな~。

当時、OFF車(XT250)に乗っていた私は、峠で、そういった若者(高校生くらい?)を、ぶち抜く事で優越感を得ていたのだけど・・・。
まあ、彼らは、”いかに早く”よりは、”よりひざを擦る”事を重視してたからな・・・。

あ~懐かしい・・・。

Moto GP & GP500レーサーズ Moto GP & GP500レーサーズ

著者:吉村 誠也
販売元:大日本絵画
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2006年5月 5日 (金)

懐かしや 80年代 その4

この前、セリカの話を書いた時に、WRCの話も書いた。
80年代は、個人的に、WRCで最も好きな時代なのだ。

何しろ、Gr.Bというモンスターマシンが暴れまわっていた時代なのだから。
ベース車を、連続した12ヶ月に200台生産すればOKで、それに加えて規定に沿った改造もOKという、過激なマシンだった。

有名どころでは、
・はじめての4WD高速ラリー車
  アウディ クアトロ
・アバルト直系のランチア
  ランチア ラリーP037
・Gr.B最高傑作の名高い
  プジョー 205ターボ16
・最後で最速のGr.Bマシン
  ランチア デルタS4

マイナー路線では、
・頑丈で壊れない、でも勝てない
  日産 240RS
・とりあえず作りましたって感じの
  シロロエン BX4TC
・無過給3LV6 マッチ箱みたいな
  MG メトロ6R4
・最小排気量のGr.B?

  ダイハツ シャレード926

マシンは、ドンドン過激になり、クアトロも「スポーツクアトロ」と言う、お世辞にもカッコ良いとは言えないエボリューションモデルを出し、他車もドンドンとエボリューションモデル出してくる。
当然、平均スピードは上がり、最悪の結果に・・・。

1986年のツールドコルスで、デルタS4のヘンリ・トイボネンが帰らぬ人に・・・。
これが直接の原因か分からぬが、翌年からはGr.Bは締め出される事に。

しかし、Gr.Bは、基本的な外観は市販車に、”似ている”ので、そんな車が、
・タイトなターマックのツールドコルス
・氷と雪のモンテカルロ
・砂と埃と炎天下のサファリ
・飛んで飛んでの1000湖

を走り回るのは、本当に見ていて興奮した。
「何で、あんな走りが出来るの?」って。

あ~懐かしい・・・。

2006年5月 3日 (水)

懐かしや ’80s その3

セリカが近く生産打ち切りになるという・・・。

セリカと言うと、人によって色々と思い浮かぶ物が違うと思うが、私にとっては、
80年代に、WRC(世界ラリー選手権)を荒らしまわった車
というイメージを持っている。

80年代初頭。
WRCにGr.Bが走っている頃、3代目の角ばったセリカがデビュー。
・ヘッドライトのリトラクタブルを固定式に変更
・オイルクーラまでトランクルームに移動させるなど重量バランスを見直す。
・当然、エンジンも全く別物(400馬力)までチューニングを施した。
サファリラリー3連覇を成し遂げた車である。
あの角ばったデザインも、個人的には大好き!!
テールランプは猫の目みたいだし。
もっとも、サファリ以外ではあまりパッとしなかったけど・・・。

80年代後半
WRCがGr.Aに移行し、4代目のまるいセリカGT-4がデビュー。
当然、WRCに出る車は、中身は別物。
もっとも、ホモロゲーション(認定)には、5000台の生産が必須だし、(ちなみに、Gr.Bは200台でOK。)基本的には市販車ベースを改造することになる。
その為、ベース車両の良さが勝負につながったのだろう。
タイトルを奪取するなど、色々な場面で活躍した車。
デザインは、あんまり好みではなかったな・・・。

しかし、そんなセリカも、生産中止とは・・・。
世界的にというか、主要マーケットである、アメリカと日本で、小型スポーツカーが売れないらしい。
一時期のアメリカでは、
「スポーツカーに乗るビジネスマンがステータス」
だったのに・・・。
みんなSUVに行ってしまったのだろうか?

何となく、さびしい・・・。

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2006年5月 2日 (火)

懐かしや ’80s その2

何となく、80年代を振り返ってみたい。
80年代といっても、色々なジャンルがあるが、今回はTVで。

80年代のTVと言って欠かせないのは、
「オールナイトフジ」
と、
「夕焼けニャンニャン」
である。
どちらにも共通点が多数ある。

同じスタッフが、深夜枠から、夕方枠に移して、それなりにソフトにして、対象年齢層を下げただけって感じだから仕方ない。

CXの番組
・P、Dは石田弘氏、港浩一氏が有名。
秋元康氏が構成
片岡鶴太郎とんねるずが出演
・内容は、無いに等しい。

オールナイトフジは、女子大生。
 ちなみに、私の好みは、おかわりシスターズの「松尾羽純」。

夕焼けニャンニャンは女子高生。
 ちなみに、私の好みは、会員番号5番の「中島美春」。

恥ずかしげも無く書くが、私は、どちらも夢中で見ていた。
石橋が、カメラを壊したのも見たし、山本スーザン久美子が合格したのも見た。
”同じアホなら踊らにゃ損・・・”だ。

そういえば、オールナイトフジの総集編のVTRがどこかにあるはず・・・。
今度探して、一人でこっそり見てみるか・・・。

B・E・S・T B・E・S・T

アーティスト:おかわりシスターズ
販売元:フォーライフミュージックエンタテインメント
発売日:1996/06/21
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2006年3月12日 (日)

大河ドラマ 風林火山と武田信玄

今日は変わったところで、NHK大河ドラマの話。
来年は、「風林火山」だそうだ。

「風林火山」と言えば「武田信玄」とすぐ連想できる。
(これは、私の住む土地柄か?)
大河ドラマでも、「武田信玄」を’80後半にやっていた。

当時の「武田信玄」のキャスティングは、
・武田信玄    :中井喜一
・湖布姫(側室) :南野陽子
・三条の方(正室):紺野美紗子
・山本勘助    :西田敏行

などであり、また、エンディングに流れる、若尾文子が語る、
「今宵はここまでに致しとうございます」
と言うフレーズも耳に残っている。

正直に言って、武田信玄は”小太り”と言うイメージが強かったので、
「中井喜一じゃ、ちょっと弱いんじゃないの?」
って思ったが、案の定、若干その気は否めなかった。
(でも十分、貫禄はあったけどね。)

で、大河ドラマなど見ない私が、それをかじりついて見ていた、その理由は、ただ一つ、
”南野陽子がかわいいから”
だけだった。(ドラマも面白かったけどね。)
当時限定販売した、南野陽子の「湖布姫のオレカとテレカのSET」も、大事に取ってある。そのくらい好きだったのよ・・・。(照)

あと、武田信玄が、側室の湖布姫に心を奪われ、正室の紺野美紗子が怒りと嫉妬を表現するシーンをいまだに思い出す。
「今宵は、ご一緒させていただきとうございます。」
と言うようなセリフを、紺野美紗子が、潤んだ目で、信玄役の中井喜一に、語りかけるのだ。
若かったので、今ひとつ理解できなかったが、今思い出しても、グッと来るシーンだった。

来年の「風林火山」は、武田騎馬部隊最高の軍師、山本勘助がメインで、信玄の側室である湖布姫に対する想いを描くらしいが、どうなる事やら。キャスティングが楽しみ・・・。

昔の思い出を壊すか、それ以上か・・・。

GOLDEN☆BEST/南野陽子 ナンノ・シングルス3+マイ・フェイバリット GOLDEN☆BEST/南野陽子 ナンノ・シングルス3+マイ・フェイバリット

アーティスト:南野陽子
販売元:Sony Music Direct
発売日:2003/07/16
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2006年2月 6日 (月)

懐かしや ’80s

先日、私の出した年賀状を見た、大学時代の友人からTELがあった。

 ”今、無職で、主夫している!”

って書いたので、心配して電話をしてくれたみたいだ。
まあ、明るく、
「主夫やってるよ!」

って答えたので、安心してくれたようだ。

で、今日は、懐かしくなり、色々と昔の話を書いてみたい。

その1)どこが上りホーム?
初めて、東横線の渋谷駅に行った時の話。
たくさんホームがあり、どのホームに行けば、横浜方面に行けるのかわからなかった。逆向きに乗ったらマズイって、真剣に探してしまった。
そう、東横線の渋谷駅は、”始発駅”。
乗車ホームに行けばどこでもOKだったのだ・・・。
恥ずかしい思い出。

その2)おまわりさんゴメン。
期末試験を前に、皆で集合し試験勉強をしていた。でも、煮詰まってしまい、「気分転換しよう」と、多摩川の河川敷に出かけた。
誰かが、ロケット花火を持って来ていたので、しばらくは上に打って遊んでいた。
そのうちに、2グループに分かれて、水平打ち合いに!! あぶねぇ~。
誰か、近所の人が通報したのだろう。
「ファンファンファン・・・」
と、例の嫌な音が大きくなる。マズイ。
ポリス:「君達何してるの?」
我々 :「花火です」
ポリス:「もう、こんな時間だよ。近所の事も考えて。」
我々 :「スミマセンでした。」
と、謝ってその場は一件落着かと思いきや、
離れていくパトカーに向かって、誰かがロケット花火を水平発射!!
当然、パトカーがものすごい勢いで戻って来る。
我々は、多摩川の土手を駆け下り、草むらに逃げ込んで、何とか逃げ切った・・・。

その3)750の押しガケ
友人の乗っていたバイクは、昔のカワサキGPz750。それもかなりボロボロの。
バッテリーが上がってしまい、押しガケしかエンジンをかける方法は無い。
約250Kg近いバイクを、友人と二人で押し出す。
「せぇ~の!」
ノロノロと動き出し、加速していく。
タイミングを見計らって、クラッチをつなぐ。
「ボッ・・ボボボボッ。」いけるか!?
「カラカラカラ」むなしく失敗。
これを何回か繰り返し、エンジンがかかった時には、二人ともマラソン終了後のような顔つきに。
皆さん、重量バイクの押しガケは止めましょう。

その4)渋谷の帝王?
親しかった友人は、毎晩のくらい、渋谷のディスコ(当時はクラブとは言わない)に入り浸っていた。
そいつに、すぐに連絡をつける必要が出来たので、渋谷に向かった。
手始めに、そのあたりの適当なディスコの受付で、聞いてみた。
私 :「○○来てる?」
店員:「今日は、ラジオシティにいるはずだよ」
驚いた!!そいつは、渋谷では有名人とは聞いていたが、そこまで名が通っているとは!!

しかし、ディスコとか、ラジオシティって懐かしい名前だなぁ~。
ついでに書くと、私は、’80s(エイティーズ)なので、
・DCブランド
・ディスコ
・サザン&ユーミン
・私をスキーに連れてって

の時代が青春時代とラップする。
もっとも、サザンを聞くくらいしか縁が無かったけれど。

書いていて懐かしくなってきた。
また、次の機会に、’80sの話を書こう。

ザ・ベスト・オブ・ディスコ・エイティーズ Music ザ・ベスト・オブ・ディスコ・エイティーズ

アーティスト:オムニバス,メラ,グリーン・オリーヴス,ジグソー,マイケル・フォーチュナティ,アレフ,タコ
販売元:エイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ
発売日:2005/02/02
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